村田沙耶香『ギンイロノウタ』特別な力を持つ銀色のステッキ【あらすじ・考察】

小説

奇妙な話を紹介する奇譚展へようこそ。

今回は芥川賞作家・村田沙耶香『ギンイロノウタ』のあらすじと考察を紹介します。

 あらすじ

消極的で自己主張が苦手な有里は、文房具屋で購入した銀色のステッキに恋心を抱いていた。

ある日、有里にとっては何よりも大切なステッキを教室で失ってしまう。有里はクラスメイトや担任の赤津を恨んだ。憎悪はどんどん膨らんでいった。

おかしくなりそうな気を保つため、ノートに文章を書き連ねるようになった有里。赤津を殺す手順を描けば気が落ち着くのだった。しかしそれは麻薬と同じように、徐々に効力がなくなってくる。より高い効果を得るため、赤津を殺人の標的にした文章は長くなっていった。

 

ステッキへの執着

主人公の有里は会話や感情表現だけでなく、新聞を取ってくるというような簡単なお手伝いも上手くできない子供。父からは叱られてばかりで、母からは苛立たれてしまいます。

そんな有里にとって、近所の文房具屋で買った銀色のステッキは心の支えでした。好きなアニメのキャラクターが使用している魔法のステッキに似ているそれは、有里をどこか別の世界へと連れていってくれるようでした。

中学生になっても、有里はステッキに執着し続けます。一体どうしてなのでしょうか?

それは、学校でも家庭でも有里が完全に孤立していたからです。その無口さや陰気さゆえに有里はクラスメイトから無視されてしまいます。家では父が横柄な態度で過ごし、母は父の顔色を窺ってばかり。唯一、ステッキだけが有里を受け入れてくれるのでした。かけがえのない存在になっていたんですね。

そうして有里は日を追うごとにステッキに依存していくのですが、その理由は他にもありました。

 

身体的な成長

有里が好きなアニメのキャラクターが、異性から性的な目で見られるシーンがあります。

群がる男の子たちの顔は山積みになっていて蜂の巣みたいだ。そして、その一つ一つの奥に甘い蜜が詰まっているのが、私にははっきりわかった。

村田沙耶香『ギンイロノウタ』(2008)新潮社

このシーンを見てから、有里は自分も異性の目を惹きたいと思うようになります。しかし自らの体型とアニメのキャラクターのそれとのあいだには、胸の膨らみなどの明確な違いがありました。有里は困惑し、身体的に大人になること、つまり胸が膨らむことなどを強く望むようになりました。

そうして性的なことに敏感になった有里は、ある時に発見するような形で自慰行為を覚えます。それはステッキと共に行われたため、有里は自慰行為をする際にステッキを必要としました。

要するにステッキがこれまで以上に有里にとって重要な存在になったということです。ステッキへの依存が増していくのはそのためでした。

 

自分を守るためのノート

中学三年生に進級した有里のクラスの担任になった赤津は、有里が教室で孤立していることに気づいて執拗に声をかけます。そして赤津はある提案をしました。それは「帰りの会の最後にクラスメイトの前で五分間スピーチをする」というものです。

しかし毎日半ば強制的に教室の前に立たされる有里は、一向に口を開きませんでした。

ある日、事情があって有里はステッキをポケットに入れて学校に持って行きました。いつものように教室の前で無言を貫いていると、アクシデントでステッキがポケットから落ちてしまいます。何よりも大切なものが初めて他人の目に晒された瞬間でした。

動揺した有里はステッキを見ることができず、教室を飛び出してしまいました。帰宅した有里はノートに『殺』の字を衝動的に書き殴りました。そこでようやく動転していた気が収まりました。

しかし夜にはまたすぐに胸が痛んで、眠れずにノートを広げます。

『5月31日

 赤津を殺してしまいたい。』

村田沙耶香『ギンイロノウタ』(2008)新潮社

有里はこのように過激なことを書き、その刺激が胸の痛みを和らげました。

その日から始まったノートへの過激な書き込みは、赤津への殺意を伴って、日々エスカレートしていくのでした。

 

【考察】自分を守るということ

有里には頼れる人も甘えられる人もいませんが、子供のころに買った銀色のステッキにだけは自分を曝け出せます。そのステッキに異常なまでに執着してしまうのは、他人とうまく関わることができなかったり意思を伝えられなかったりすることの反動ではないでしょうか。もっと上手に生きられたら、それほどステッキに依存せずにいられたかもしれません。

ステッキは有里にとって神聖なものでした。誰にも知られたくない、見られたくない、触れられたくない、そんなふうに思っていたことでしょう。しかしある日にクラスメイトに知られ、見られ、触られてしまいます。有里が受けたショックや痛みは計り知れません。

有里はそのショックや痛みを、過激な文章を書くことで緩和しようとします。命と同じくらい大切にしているものを失った時、正気を保つために人間がどれほどの刺激を必要とするのか、そこが本書では丹念に描かれています。

物語が進むにつれて、有里はどんどん強い殺意を覚え、ノートに鮮明な殺害の描写を書き連ねていくようになります。その様子は狂気的で恐ろしさを感じずにはいられませんが、有里は自分を守るためにそうするほかなかったのでしょう。

私たち人間は、それぞれ大切にしているものがきっとあるはずです。それは目に見えないものかもしれません。言葉にできないものかもしれません。たとえそれがどんなものであったとしても、私たちは決して他人の大切なものを馬鹿にしたり無許可で触れたりしてはいけないのだと、本書を読むと強く認識させられます。同時に、自分を自分の手で守るということがどれほど大変で過酷なことなのかを知ることもできます。村田沙耶香さんはそういったことを描きたかったのかもしりません。

 

まとめ

今回は村田沙耶香の「ギンイロノウタ」を紹介しました。登場人物の心情、そして筆者の頭の中も想像しながら、ぜひ一度読んでみてください。

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