吉村萬壱『バースト・ゾーン -爆裂地区-』テロ・愛国心・怪物・人間【あらすじ・考察】

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今回は芥川賞作家・吉村萬壱『バースト・ゾーン -爆裂地区-』のあらすじと考察を紹介します。

あらすじ

各地で爆発テロが起こり、その犯人とされる危険分子「テロリン」の殲滅が掲げられ、ラジオからは「志願兵」を讃える国威高揚の歌が繰り返し流れる島国。病気の妻子を持ちながらも娼婦・寛子との不倫に溺れる椹木は、「志願兵」として大陸に渡る。そんな彼を追う寛子、彼女の客の素人画家・井筒俊夫、麻薬の売人として悪の限りを尽くす土門、そして権威への従属に喜びを覚える医師の斉藤……。それぞれの思惑で大陸へ渡った彼らが直面したのは、未知の怪物の群れ全貌の見えない戦い、そして人としての軸を失うような忘我の体験だった。

 

プロパガンダに鼓舞される生々しい「愛国心」

テロや貧困から同胞を守るものとして讃えられる「愛国心」は、一見すると、正義感に溢れた立派な心情のようにも見えます。

ところが本作で語られるその実態のほとんどは、各々の劣等感や保身の願望、そして憎悪や復讐心に裏付けられた暴力的な排除の欲求でしかありません。

例えば群像劇を成す本作の中心人物・椹木は、病気で弱った妻子を金銭的にも精神的にも支えきれず、不倫相手の寛子に金の無心を続け、果てには寛子に身体を売らせることで、鬱屈した日々を何とか過ごしています。

ある日、電車の中でひとり涙する見知らぬ女性に同情心を刺激された椹木は、次いで愛国プロパガンダの広告に目を向けます。

〈同胞のために! 随時 志願兵募集〉

 吊り広告に描かれた確信に満ちた赤いゴチック文字を見た時、世界が一瞬実に分かりやすいものになった気がした。何が正しく、自分が何を犠牲にし、何を成すべきかが一目瞭然になったようで、改めて女を見ると胸の中に沸々と闘志が湧き上がってきた。この女に涙を流させたテロリンを、自分の手で浄化する。今、この国の国民が流すすべての涙に対して唯一自分に出来るのは、勇気を持って志願する事以外になく、ぐずぐずしている場合ではないと思った。

吉村萬壱『バースト・ゾーン -爆裂地区-』(2005年)早川書房

さまざまな原因で複雑に絡み合っていた内面のわだかまりを一息に単純化し、確固たる方向性と立派な体裁を与えてくれた広告の言葉に、無邪気にも闘志と「愛国心」を鼓舞される椹木。

すると隣の車両から聞こえてきた「テロリンだ!」の声をきっかけに、たちまち一人の男への集団リンチが始まります。男へ向けられた疑いの真偽も定かでない中、掻き立てられた「愛国心」に背中を押された椹木は、「同胞」を脅かす「テロリン」へのリンチに進んで加担することになるのです。

「愛国心」によって残酷な振る舞いを自らに許す人物は、椹木だけではありません。

例えば、権威から下される命令を完璧に行うことに喜びを覚える医師・斉藤の心の底には、幼い頃に学校で培われた「この組織に属している限り何の迷いも抱かなくて済む」という状態がもたらす「大きな安堵感と強烈な多幸感」の実感がありました。

こうして国家という大きな権力に従うことを選んだ斉藤もまた、「愛国心」を盾に、上部からの命令に従って多くの人物を手にかけることになります。

このように、本作が描き出すのは「愛国心」という大きく勇ましい心情の裏に隠された、卑小な人間たちの生々しい姿なのです。

 

人の脳から物語を吸い出す怪物たち

「テロリン」の討伐を目的に大陸へ渡った志願兵たちでしたが、そこで直面したのは、どこからも明確な情報が与えられない宙吊り状態がもたらす混乱と恐怖でした。

肝心の「テロリン」の姿さえも不確かな状況下で、小隊に所属する椹木や井筒、そして女性志願兵として船に乗り大陸に降り立った寛子たちは、隠された真実を自力で探し出すことを余儀なくされます。

そして次第に明らかになったのは、真っ黒な牛に似た巨大な怪物・「神充」の存在でした。

目を持たない「神充」たちは、人間が作る物語や意味に鋭く反応し、それらを抱いた脳の存在を感知すると凄まじい速さで走り寄ります。そして頭部から管を伸ばして獲物の頭に突き刺し、脳の一部を吸い出します。犠牲になった人間は、まもなく新たな「神充」に変異します。

もちろん、ひとつの物語として兵士たちに生きる意味を与える「愛国心」も、その獲物の例外ではありません。

それどころか、家族の顔を少しでも思い出したり、「神充」の体表の艶に見入ったりした一瞬に、「神充」の餌食になってしまうのです。

したがってこの怪物たちから逃れるには、もはや自我を滅し、忘我の中で朦朧とするしかありません。

無心で人を殺し続けることで生き延びてきた残酷な男・土門は、地面に夢中で絵を描く井筒の姿を見て、自分とは正反対のこの男に不思議な親近感を覚えます。

 絵を描くこの男は、絵を描くという「意味」の中心にあって、ただ一人無意味な迄に無心になっているに違いなかった。意味の呪縛から逃れられているのはこの男だけであって、周囲の人間は井筒という無意味に纏い付く意味の囚われ人なのだろう。神充はそういう人間を好んで襲うのであって、心を空虚に保ち得ている井筒だけが、神充の目から見えないのだと考えられた。

 人殺しに酔う土門と児戯に夢中になる井筒は、忘我という一点で共通しているらしい。

吉村萬壱『バースト・ゾーン -爆裂地区-』(2005年)早川書房

忘我の状態を、彼らはそれぞれの方法で図らずも達成し、「神充」から生き延びていたのでした。

 

【考察】「神充」は神秘的体験?

ここで想起されるのは、素人画家・井筒俊夫の名の元になっているであろう哲学者・井筒俊彦が『神秘哲学』で語った「神充=エントゥシアスモス」です。

井筒によれば、古代ギリシア人は、無意識や狂気を象徴する酒神・ディオニュソスの憑依によって哲学を手にしたといいます。

この憑依がもたらす2つの体験こそが、身体から精神が脱出し人間的自我が失われること=「脱自」と、それによりあらゆる対立が消滅した神的領域である「沈黙の秘境」に充たされること=「神充」でした。

このことを念頭に置いて本作を読んでみると、登場人物たちがそれぞれに直面している忘我の境地が、必ずしもネガティブとはいえない神秘体験であるようにも見えてきます。例えば素人画家・井筒が「神充」と背中合わせの恐怖の中で得たのは、次のような体験でした。

 僕は「それ」を自分の背後に強く感じた。緊張の余り、視線が目の前の枯れ草の黒い斑点に固定したまま、全く動かせなくなった。

 じっと息を殺しているうちに、僕は徐々にその斑点そのものになった。斑点は、この植物特有の病気だった。僕はこの枯れ葉を枯らしたその病気そのものであり、そして枯れ葉と共に死ぬ運命だった。宿主である木の葉に取り付いて、宿主の葉を枯らし、葉と共に死んでいくのは理不尽であったが、その営み自体を無意味とは感じなかった。生命の営みは、そもそも人間の「意味」の尺度では計れないと思った。いや、思ったというのは正確ではない。僕はそのとき、何も考えていなかった。ただ、微細な病原菌のひとつとして存在していたに過ぎない。存在していること自体に意味はなく、ただ「在る」というだけである。

吉村萬壱『バースト・ゾーン -爆裂地区-』(2005年)早川書房

「神充」をめぐる体験の中で現前するのは、世界や自己に物語や意味を付与しなければ生きていけない、人間という生物特有の異様さです。

無意味と意味の狭間で身悶えしながら、暴力に繋がる欺瞞をはらんだ「愛国心」やファシズムだけでなく哲学や小説までをも排泄してしまう、人という種のままならなさ。

それがおかしくも愛おしくも思えてくるまでに、生のままの人間の姿を描き切った本作は、「人間嫌いの人間」にこそおすすめの一冊と言えるかもしれません。

 

まとめ

今回は吉村萬壱の「バースト・ゾーン -爆裂地区-」を紹介しました。人間らしさ、そしてそれを超越する力にも注目しながら、ぜひ一度読んでみてください。

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