飴村行『粘膜蜥蜴』頭部がトカゲの人間が暮らす世界【あらすじ・感想】

飴村行

奇妙な話を紹介する奇譚展へようこそ。

今回は暴力的でグロテスクな描写を得意とする作家、飴村行の小説『粘膜蜥蜴』を紹介します。

あらすじ

頭部が蜥蜴(とかげ)になっている生き物「爬虫人」と普通の人間が共存する世界の話。

ある日、町唯一の病院の御曹司である雪麻呂の豪邸に『ご招待』された真樹夫と大吉。雪麻呂に仕える、人の言葉を話す「爬虫人」に迎えられた二人は、精神を病んだ戦争帰還兵が隔離された特別病棟で恐るべき事件に遭遇する。

時を同じくして、戦地の東南アジアで抗日ゲリラと戦う真樹夫の兄美樹夫も、瀕死で辿り着いた爬虫人の村で信じがたい体験をする。

しかし、遠く離れた場所で兄弟が体験した出来事は、この異常な物語の幕開けに過ぎなかった。

謎に満ちた「爬虫人」の存在

東南アジア出身のこの爬虫人は、現地では「ヘルビノ」と呼ばれています。彼らは、動物や人間の脳みそが大好物です。

基本的には人間の言葉を理解しませんが、小さい内から厳しく躾ければ何でも覚え、人間と変わらぬ従順な召使いになるということもあり、政治家など金持ちの間には愛好家も増えています。

雪麻呂に仕える爬虫人の「富蔵」もその一人です。いつも茶色い国民服を着て日の丸の鉢巻きを締め、将来は立派な日本兵になるのが夢。雪麻呂のことを心から心配し、いつも「ぼっちゃん!ぼっちゃん!」とあたふたしている姿が印象的です。

残虐さと従順さの両面を持つ謎に満ちたこの爬虫人の存在が、物語の不気味さを一層際立てています。

富蔵が時折「キョリキョリキョリ」と奇妙な声で笑うのも、かなりの気味の悪さです。

人間社会の暗部を示唆する戦時下日本のパラレルワールド

本作の設定では日本が東南アジアの「ナムール」という架空の国を統治しています。

「ナムール」では日本軍と過激派ゲリラとの間で激しい争いが日夜繰り広げられており、美樹夫が命じられた任務も、「間宮」という軍の要人をゲリラから護衛しながら安全に目的地へ連れていくというものでした。そしてこの間宮という男が実は阿片やヘルビノ密売の元締めであり、軍や政府の権力者が彼の強力な後ろ盾になっているという構図も見逃せません。

フィクションではありますが、「ナムール」はベトナムを連想させ、軍と現地ゲリラの激しい争いや軍が薬物の使用や売買を容認していることなどはベトナム戦争を想起させます。

また、爬虫人の存在も社会から隔絶された原住民が文明社会に迫害されるメタファーとも受け取れます。過激でグロテスクな描写も多い本作ですが、戦争の歴史や人間社会の暗部を示唆するような内容が散りばめられており、ただのフィクションでは片づけられないようなリアルさがあります。

以下は、捕虜の処刑に失敗した美樹夫に軍の参謀長が言い放った言葉です。どう考えても非人道的ですが、戦争の恐ろしさと人間が内に秘める暴力性を感じずにはいられません。

「いいか少尉、戦争で人を殺してもそれは殺人ではないのだぞ。戦争で人を殺すということは、駆除であり、処理であり、消去だ。蠅や蚊を叩き潰したり、邪魔な枝葉を切り取ったり、間違えた文字を消しゴムで消す行為と全く同じなのだ」

飴村行著『粘膜蜥蜴』(2009) 角川ホラー文庫

【考察】善悪の対比が炙り出す人間という存在の本質

この奇抜で、過激で、どこまでも不条理なストーリーの作品が、本当に表現したかったのは何だったのでしょうか。

本作では大きく分けて二種類のタイプの人間が登場します。

まず一つ目のタイプの人間が真樹夫と美樹夫です。両親を早くに失った二人は強い絆で結ばれており、戦争で離ればなれになってもお互いの無事を一番に祈り続けます。どんな時でも他人を思いやることのできる正義感の強い存在として描かれています。

そしてもう一方が雪麻呂や間宮のようなタイプの人間です。彼らは権力を傘に自己中心的かつ傍若無人に振る舞い、自分の気に入らないことがあれば残虐非道なことも平気で行います。権力と金で解決できないものはないと考え、自分たちの行動が正しいと信じて疑いません。戦時下という極限状態の中では人としての違いが一層際立ち、特に雪麻呂や間宮のような種類の人間の非人道的な振る舞いは際限を知りません。

一方で真樹夫や美樹夫のような人間は、どんな過酷な状況に追い詰められても、人としての尊厳を必死で守ろうとします。

二種類のタイプの登場人物たちが最終的にどのような末路を辿るのかも本作の見どころですが、それ以上にこの作品の真の魅力は、「人間という存在の善悪の極致」を表現しているという点ではないかと考えます。

もちろん人間という複雑な存在を、善と悪に簡単に分けることはできないと思います。それでも本作では、小説というフィクションの世界でしか描けない究極的な状況をどこまでも残酷に描ききることで、誰にでも分かる形で「善」と「悪」の対比を炙り出しているのです。

目を背けたくなるようなグロテスクな描写もある物語ですが、最後まで直視できた人だけに見える新しい景色があります。

まとめ

今回は飴村行の「粘膜蜥蜴」を紹介しました。本記事ではお見せし切れなかったグロテスク描写の数々を、ぜひ一度ご自身の目で確かめてみてください。

コメント