筒井康隆『銀齢の果て』 老人たちの殺し合い【あらすじ・考察】

小説

奇妙な話を紹介する奇譚展へようこそ。

今回は筒井康隆『銀齢の果て』 のあらすじと考察を紹介します。

あらすじ

老舗和菓子屋の3代目である77歳の宇谷九一郎(くいちろう)は、親友の囲碁仲間をワルサーで銃殺した——。

2年前から導入された老人相互処刑制度、通称「シルバー・バトル」は、70歳以上の老人同士で殺し合い、その中で1人生き残った者だけを社会に残すというシステムだった。

各地で行われる凄惨な殺し合い……九一郎の住む宮脇町5丁目でも、それははじまった。

元自衛官など強敵ぞろいの区画内で、はたして久一郎は生き残れるのだろうか?

 

老人同士で殺し合いーー国が定めた「シルバー・バトル」とは

『銀齢の果て』では、老人たちの激しいバトルが展開されています。

なぜ、殺し合いをしなければならないのか。それは、作中ではっきりと明言されています。

「この制度は言うまでもなく、今や爆発的に増大した老人人口を調節し、ひとりが平均七人の老人を養わなければならぬという若者の負担を軽減し、それによって破綻寸前の国民年金制度を維持し、同時に、少子化を相対的解消に至らしめるためのものなのです」

筒井康隆「銀齢の果て」(2008)新潮文庫

爆発的に増えた老人を間引くために老人たちで殺し合いをさせる、国で定めた新しい制度でした。

主人公九一郎たちの住む宮脇町だけでなく、広島県の集落や都内の老人ホーム内などでも行われており、全国90ヵ所以上の地区内で勝ち残った1人だけが今後の生存を許されます。

「皆さんにはこれから、殺しあいをしてもらいます」

筒井康隆「銀齢の果て」(2008)新潮文庫

まさに老人版バトルロワイヤル。生き残りをかけて、老人たちは己の武力と知恵で戦います。

死にすぎて最早ギャグーー老人たちの壮絶な死に様

しかし、殺し合いといっても70歳以上の老人たちで行われるものであり、緊迫感に欠けるところがあります。

例えば、元自衛官の是方(これかた)昭吾はライフルを使って相手を射撃しようとしますが、視力の衰えでうまく標的が狙えません。是方は年齢による体力の衰えに苛つきます。

老人たちは基本的に力が弱くなっています。刃物で相手を突いたとて、それが致命傷にならず、なかなか殺すことができません。

「何しとんねん。さっさと殺らんかい。心臓はここや、ここや。急所はずして、浅い浅い傷仰山つけやがって。せっかく殺されたろ思うて、こないして車椅子におとなしう座っとるんやないか。覚悟できとんねん。お前まだ七十何歳かやろ。わしはもう九十二歳やぞ。弱あい力でからだのあっちこっちぶすぶす刺しやがって、痛うて仕様ないわ。早うせんかい早う。」

筒井康隆「銀齢の果て」(2008)新潮文庫

『銀齢の果て』には50人を超える登場人物が出てきます。高齢ゆえに生に執着しない者、逆にまだ生きたいと願う者。それぞれの事情があり、そして死んでいきます。あまりの命の儚さに、逆に爽快感を覚えるほどです。

後半の怒涛の畳み掛けは、シリアスよりもユーモアに溢れており、それがシュールな笑いを誘います。

象の団五郎は、国道から南への道を驀走していた。その背中に乗った山添菊松は、紐で自分のからだを団五郎の首に結わえている。

(中略)

国道では取材中のテレビのクルーの、カメラマンの男とレポーターらしき女を踏み殺したようである。いずれもバトル対象者ではないから殺人罪になるが、菊松はご機嫌だった。なんの抵抗もできずに殺されるものとばかりに思っていたのに、これだけ暴れることができ、皆を驚愕させたのだから本望であり、もういつ死んでもいいと思っていた。

筒井康隆「銀齢の果て」(2008)新潮文嶺

元動物園円丁の菊松は、昔よく懐いていた団五郎という象を動物園から連れ出し、次々と人を踏み潰していきました。武力のない老人はこうして働き先の生き物でさえ“武器”として扱い、シルバー・バトルに参戦していくのです。

 

【考察】「シルバー・バトル」は国策として正しかったのか

作中では、まるで老人たちを悪者のように扱い、だからこそシルバー・バトルで人数を減らそうという国策を打ち立てました。しかし、本当にそれで良かったのでしょうか。

宮脇町5丁目の明原一家は全員バトル対象者でした。明原真一郎の母親は100歳を超えており、寝たきりの状態です。そんな母を真一郎と妻の真弓は愛していました。だからこそ一家心中という手段を取りました。

「こんなご馳走、もう十年以上も食べたことがなかったなあ」真一郎は慨嘆して天井を仰いだ。

「お金、全部使っちまったわ」真弓は虚無的な笑い方をして言った。「バトル開始で、年金も打ち切られたし、貯金も、退職金に利息がつかなくなってから、あっという間に無くなっちまった。

(中略)

日本なんて、こんな国、年寄りの生きていける国じゃないわ。」

筒井康隆「銀齢の果て」(2008)新潮文庫

真一郎は真面目なサラリーマンでした。しかし不況の波に煽られ、会社は倒産。再就職もままならず、貧乏な暮らしをしていました。子供も幼い内に亡くしており、2人には何もありません。

現代の日本でも、似たような事態に陥っている家庭は少なくありません。

親が寝たきりになってしまったが、困窮のため施設に入れられず、泣く泣く会社を退職。やぶれかぶれのまま、介護者も歳を取っていき、最終的に老老介護が始まってしまう。

この明原一家は、もっとも現代社会に近い登場人物たちと言えるでしょう。

最終的に真一郎は母を殺し、真弓と2人で胸を差し合います。しかしそれもうまくいかず、2人はお互いに謝りながらもがき苦しみ、誰にも看取られずに死んでいくのです。

 

【考察】高齢化が進む日本……行き着く先は『銀齢の果て』

現代の日本では、お年寄りたちの平均寿命が年々伸びています。

厚生労働省の発表によると、男性の平均寿命は81.49歳、女性の平均寿命は87.60歳。日本全体の平均寿命としては84.55歳になる、という結果が出ています(2022年12月23日時点)。今後も平均寿命は伸び続けると言われており、2040年ごろには男性の平均寿命は83.27歳、女性は89.63歳まで伸びることが予想されています。

深刻な高齢化によって国民年金の受け取りが困難になり、今働き盛りの若者たちが高齢になった時には殆ど貰えないのではないか、という憶測も出ています。

「おやおや。今さらのように『良識』ですかい」九一郎は大声で言った。「その良識の名のもとにこんな状態になったんじゃなかったのかね。あの、間の抜けた介護制度なんてものは、良識による悲劇の最たるものだったんじゃないのかな」

筒井康隆「銀齢の果て」(2008)新潮文庫

介護による延命や医療による延命……それらはお年寄りを死なせたくないという『良識』から生まれたものでした。しかし、それによって未来ある若者たちの首を絞めている、という事実も少なからずあるのです。

ですが、全てのお年寄りが悪いとも言い切れません。ただ長生きしてしまっただけで、悲しい末路を辿る明原一家。善良がゆえに割を食う社会はあってはならないのです。

では、どうすればいいのか。その答えは『銀齢の果て』には載っていません。

終始70歳以上の老人たちがドンパチをやって、死んでいく様がコミカルに描かれているだけです。

しかし、その中で垣間見える倫理観や道徳、社会のあり方などを拾い上げることはできます。

「高齢化社会」が当たり前になった世界でシルバー・バトルが起きないように、我々はどうしていくべきか。それを改めて考えさせてくれる作品です。

 

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